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植樹帯完成パレード 高ヒット
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植樹帯完成パレード
青葉小学校鼓笛隊のプラカードを持っているのが娘の薫。
(写真原文通り)


季節を感じる商店街に

今でこそさして珍しくないが1970年代初頭、地方の商店街に自然を取り込んだ街づくりといった概念は殆ど無かった。都会のやや大きな商店街でさえ日除け程度のアーケードと車歩道の区別ぐらいの町並みであった。また、商店街を取り巻く環境も、まだ穏やかなものであった。

昭和45年、日本万国博覧会が大阪で開催され、日本中がお祭りムードの中、各地では公害が問題化。登りつめた経済成長にも陰りが見え始める。そんな中、学生を始めとする若い世代を中心に「自然を見つめ直そう」という気運が高まりをみせる。

七間町名店街でも当時の青年部のメンバーを中心に、これからの商店街構想についての活発な論議が交わされ始める。
「街の中で小鳥のさえずりが聴けないだろうか?」
「季節の移り変わりが感じられる街がつくれないだろうか?」
街づくりのテーマは、やはり自然とのコミュニケーション。街路樹の植樹という結論に達するのに、そう時間はかからなかった。しかしケヤキの植樹となると賛否両論、特に落葉樹という点が大きな問題になった。商店街の街路樹といえば現代でさえ常緑樹が主流。敢えて手間のかかるケヤキを選ぶことは、これから永く付き合う街の人々にとって、かなり勇気のいることであった。秋になれば枯れ葉となり路面を覆う落葉。確かに煩わしく感じることもあるかもしれないが、新たな季節の到来を知り顔をほころばせる日がきっと来るはずだ。

「季節が感じられる街」それは、わたしたちの目指していたものだ。青年部のメンバーの熱意は徐々に商店街の人々の気持ちを動かしていく。昭和48年、七間町名店街は静岡の商店街の中で先駆けて、ケヤキの植樹をおこなう。平成3年に完了した街並整備事業では、まず街路樹のケヤキとのバランスを考慮し町並みの計画を策定した。駐輪場の配置、アーケードの高さなど、細部にわたって検討を重ね現在の七間町の景観に至った。

「帰ってこいよ小鳥達」。昭和48年、ケヤキの植樹帯完成。



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