ひさご開店の日 

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ひさご開店の日
戦後、青葉通りに数多く並んだ「青葉おでん屋台」。「ひさご」もそんな屋台の一軒だった。
昭和30年代、青葉おでん屋台の最盛期には、約100軒もの屋台が青葉通りで営業していた。
これほどの数の屋台がありながら、どの店もほぼ満員という時代であった。
しかし昭和40年代になると食品衛生法上の規制等で、これらの屋台は青葉通りを後にし、いくつかの路地に分散して店を構えるようになった。残念ながら、この移転時に多くの店が営業をやめてしまった。
移転していった店は「青葉おでん街」「青葉横丁」「ちゃっきり横丁」「青葉小路街」「いかづちおでん街」「縄のれん街」等に代表される、静岡独特のおでん横丁を形成していった。
これらのおでん横丁では、店主や暖簾が変遷しながらも、古き良き時代の「青葉おでん屋台」の文化を継承し続けて、平成の現代に至っている。
写真の「ひさご」はめでたく新店を開店し、露店の営業に別れを告げた。
昭和40年代、おそらく昭和43年以降の撮影と思われる。
戦後、青葉通りに数多く並んだ「青葉おでん屋台」。「ひさご」もそんな屋台の一軒だった。
昭和30年代、青葉おでん屋台の最盛期には、約100軒もの屋台が青葉通りで営業していた。
これほどの数の屋台がありながら、どの店もほぼ満員という時代であった。
しかし昭和40年代になると食品衛生法上の規制等で、これらの屋台は青葉通りを後にし、いくつかの路地に分散して店を構えるようになった。残念ながら、この移転時に多くの店が営業をやめてしまった。
移転していった店は「青葉おでん街」「青葉横丁」「ちゃっきり横丁」「青葉小路街」「いかづちおでん街」「縄のれん街」等に代表される、静岡独特のおでん横丁を形成していった。
これらのおでん横丁では、店主や暖簾が変遷しながらも、古き良き時代の「青葉おでん屋台」の文化を継承し続けて、平成の現代に至っている。
写真の「ひさご」はめでたく新店を開店し、露店の営業に別れを告げた。
昭和40年代、おそらく昭和43年以降の撮影と思われる。
( 昭和40年代 )