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戦後の松風堂 高ヒット
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「君の名は」

昭和25年に電波法が改正され、昭和26年年9月には日本最初の民間放送が始まった。
受信契約者数は1000万人を超え、ラジオは、戦後の焼け跡の中で、映画と並んで人々の数少ない娯楽のひとつとなった。
昭和27年4月10日、 菊田一夫作のNHK連続ラジオドラマ「君の名は」の放送が開始された。放送は翌年の4月まで続き大人気ドラマとなり木曜夜8時半から9時の放送時間はこの番組を聞く為に、銭湯の女湯から客が消えたという神話が生まれたのもこの頃である。

太平洋戦争末期の東京大空襲の夜、焼夷弾が降り注ぐなか、見知らぬ同士の氏家真知子と後宮春樹は、助け合って逃げ回るうちに、銀座、数寄屋橋にたどり着く。そこで2人は「生きていたら半年後、それがだめならさらに半年後にこの橋で会おう」と約束する。春樹が「君の名は」と尋ねるが、真知子は名を名乗らないまま立ち去る。やがて2人は運命の渦に巻き込まれ、互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、やっと会えた頃には真知子はすでに人の妻となっていた。しかし夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、真知子と春樹の純真な愛と波乱の人生を描いた本格派メロドラマであった。

番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションが流れ、「忘却とは忘れ去ることなり」は流行語にもなった。また真知子巻きという、首から頭にかけてショールを巻くスタイルの一種が大流行し社会現象となった。

写真は昭和27年撮影の七間町、松風堂。
写真では森永製菓のキャンペーンを行なっている。
終戦から7年が経ち、物品の豊かさが次第に伝わってくる一枚である。
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