トップページ >  七間町物語 >  昭和10年代 >  若竹座のポスター
若竹座のポスター 高ヒット
[ 5296hit ]
若竹座のポスター

 新門辰五郎による建設を起源とする玉川座は、その後、小川鉄太郎に譲渡され小川座と改称された。静岡の小川座は甲府の三井座とともに東京役者の足止溜りとして有名だった。興行師にも顔の利いた太っ腹なのがいて信用が厚く、東京、大阪の大物役者や芸人が必ず立ち寄った。
 明治二十二年六月二十日付で小川座の経営者が小川金蔵から、同じ町内、寺町の材木小売商である高橋鉄太郎に移り、「若竹座」と改称された。
明治二十五年十二月十二日、若竹座の隣の妙音寺に放火されて若竹座も焼失。座主の高橋は再建を断念。興業権を持つ大塚正寿が親しい資産家、手塚忠兵衛に協力を頼み当時の財界人に声をかけて多額の再建資金を集めてくれた。
 再建された若竹座は従前よりも規模が大きく、袖入母屋作りの洒落た建物で、当時としては最高の材料と技術で立派に再建された。

写真は「崔承喜」のポスターである。
sai shoki、サイショウキ(韓国読みでチェスンヒ)はソウル生まれの韓国人舞踏家である。
昭和9年(1934)の東京での舞踏で一躍有名になり昭和11年(1936)には「半島の舞姫」という主演映画も製作された。
その後は世界中に知られるコリアン・ダンサーとしての地位を不動のものとした。

ポスターにリサイタル発表会の日時がある。
10月6日(火曜日)とあるが、グレゴリオ暦曜日対比表で計算すると昭和11年10月6日の公演と推測される。

このポスターは静岡「あべの古書店」蔵である。

カテゴリ内ページ移動 ( 61  件):     1 ..  40  41  42  43  44  45  46  .. 61