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三木 卓 高ヒット
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七間町に行かないと静岡へ帰ってきたような気がしない

 七間町を知ったのは小学校の五年生坊主のときだ。ぼくはそれまで敗戦時の中国の大混乱の中にいて、やっと母親の故郷である静岡市に、命からがら引き上げてきたところだった。引き上げ先は西草深の弁護士さんのお宅だった。昭和二十一年のことである。まだ、田町に撃墜されたB29の残骸がそのままあった頃のことだ。
どうして弁護士さんのおせわになったかは、この文章に関係がないからともかくとして、七間町を教えてくれたのは、その弁護士さんの坊ちゃんだった。
彼は一年下級生だったと思うが、もちろん、こと静岡の街に関しては堂々たる先輩である。その彼がこう言った。
 「ひとつ、今日は、セブン間町にでも行かざあよ」
 セブン間町・・・・・ いったいそれは何だ。
 当時は英会話を学んで、アメリカ人とぺらぺら話をしようというムードが大流行だったから、そんな言い方をしたのか。セブンはラッキー・ナンバーでもある。
やがてぼくは知った。七間町は転入した安東小でも一番人気のある町だった。やがてぼくも、我が物顔に七間町を歩くようになった。戦災のためにどこもろくなことになっていないから、賑やかで楽しいところへ行きたくなるのである。一番華やかな場所だから、何をするにも、七間町がいいのである。
 七間町は町の両側に映画館が並んでいた。これは華やかそのもののように思われた。ちょうど国際劇場が「アメリカ交響楽」で、コケラおとしをしてまもない頃ではなかったか。ぼくがこの映画館で見たのは、エロール・フリン主演「ロビンフッドの冒険」だった。これはテクニカラーで、生まれて初めて色の着いた映画を観たぼくは腰を抜かした。静映で始めて観たのは、高嶺秀子主演の「愛よ星と共に」だった。多分、年長の従妹かなんかに連れて行ってもらったので、小学生がそんな映画を観ることになったのだろう。
 今、当時の地図を見ると、意外にも七間町の静映とはお尻でつながっていたらしい両替町の歌舞伎座は、当時映画と実演の二本立てだった。よくポスターに、永田キング演出という名前があったが、永田キングは、戦前東京の軽演劇ムーラン・ルージュで活躍していた人だ、とあとで知った。戦争直後は流れてきて、静岡の歌舞伎座にいたのだろうか?
 ちょっと遅れてオリオン座ができた。すかさずコケラおとしに行ったが、これはゲーリー・クーパー主演の「ダラス」という西部劇だった。豪華な殿堂の暗闇の中に塗ったばかりの漆喰のにおいが漂っていた。
 静活の株主になれば、経営している映画館はみんなパスで入れる。あれはすごいもので、一度か二度、学校に親のパスを持ってきて見せびらかす奴がいたけれど、それは燦然と光り輝いているように見えた。なんとかお金を工面しては、中央劇場、電気館なんかにも行ったけれど、親が静活の株主だったらどんなにいいか、といつも思っていた。
 安東小学校は教科書を岩下書店からとっていた。それで、七間町にある本屋さんでは、まずここに、親しみを持った。呉服町の角にもなる東京堂書店は角にあるから、左から入って右に出ることができた。ほしくてもビンボーで買えないので、本を撫でて帰るだけの子どもにはこういう店はありがたかった。
 しかし、なんといっても、本屋さんとなれば、吉見書店だった。兄貴が働いていたこともあって、この本屋さんの厳しい出版文化に対する態度を聞いていたので、こういう本屋さんがあるというのは、静岡の文化度の高さを現しているような気がして、入っていくにもやや緊張した。
 その吉見書店が七間町から姿を消した、という噂がぼくのところまでも流れてきているが、本当だとしたらとても寂しい。
 古書店は、東京堂書店と相角になる松尾書店だ。暗い電灯がともる中に、おやじさんがひとり、古本に囲まれていつも座っていた。ぼくはこの本やさんで、北原白秋が大正時代に出した歌集「桐の花」を買っていまだに持っている。
 この間その本のことを新聞に書いたら、北九州から葉書が来た。松尾書店のお嬢さんが、お嫁入り先からぼくのエッセーを読んだと言ってきてくれたのだった。
 それから電話で話した。
 「たしかお隣がアイスキャンデイ屋さんでしたよね」
といったら、
 「ああ懐かしい、お隣の方がよく売れるからうらやましかったですよ」
と言った。ぼくの耳にも当時のキャンデイ屋のモーターベルトの回転する音がはっきりと甦ってきた。
 その頃、静清信用金庫の向かいにあった大東京火災海上静岡支店に、ぼくの伯父がいた。彼は支店長代理だったが、住宅難の時代だったので、一家はこの建物の二階に住んでいた。静岡祭のときなど、よく遊びに行って小遣いをもらったものだったが、そのときには二階からしみじみと七間町の雑踏を見下ろしたものだった。なぜか四月の祭りのときは雨の日が多くて、町の煙っている様が心に残っている。とても残念だった。
 今度、城内中学の同級生だった金魚屋陶苑の柴山元秀さんから、昭和二十五年の七間町こども会(クリスマスイブ)の写真を見せてもらって、とても懐かしかった。一年上級生で眼科医になった今は亡き伊藤康行さんのお宅(いとう眼科)で写したもので、英語がよくできて、お兄さんのように優しかった伊藤さんも、奥の方に写っている。柴山さんのお姉さん治子さんも一年先輩だが、城中の文化祭で、奥村民蔵先生指導の「ベニスの商人」で、凛々しいポーシャ姫の役を演じて大好評だったときの少女のままだし、同じとき、「白雪姫」で魔女の予言と対抗する十二人目の最後の予言の女の役をやって、すがすがしい印象を残した市原(三浦)正恵さん(村上開明堂)も、その頃のみずみずしい姿で写っている。
 それからもう、半世紀がたった。でも、静岡へ行くとまず七間町に行ってみる。そういうところがある。七間町に行かないと静岡に帰って来たような気がしないからだ。いつまでも変らない優しさで、ぼくを受け入れてほしい。

作家。本名 冨田三樹。第17回H氏賞、第68回芥川賞、第9回蓮如賞受賞。
安東小、城内中、静岡高卒。鎌倉市在住。母親は馬場町出身。
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