トップ  >  七間町物語

七間町物語

  七間町の百年を綴るということ

今川時代、府中内に生産販売の権利を独占する座が設けられ、友野二郎兵衛という豪商が長をつとめました。七つの座、すなわち小絹、炭、米、檜物、千朶積、相物(干魚、塩)、馬商の座が主なものでした。後に友野宗善が武田信玄より今の七間町に屋敷を賜ったことで、七座の長の屋敷のある町「七軒町」の名が生まれ、それがいつの頃か、「七間町」になったと言われています。七間町は府中における物流の拠点であったわけです。

このことが後のち、七間町を商店を中心とした町として発展させたと思われます。明治になってさらに発展し、多くの店が軒を並べていたことが文献や地図等において記されています。このように、古くから静岡の重要な拠点として親しまれた七間町は、その後、演劇や映画、そして娯楽の町として発展してきました。

七間町を語るとき、ほとんどの方が「書店、古書店がある町」、「映画館のある町」と言って、若き日の懐かしい、楽しい思い出を話してくれます。誰もが青春時代の一ページに七間町をぶらぶら歩いたことを記しています。

学生時代、わずかな小遣いを持って書店まわりしました。映画を観たあと、興奮がおさまらず、レストランで食事をしたり喫茶店で映画の感想を語ったり、さらにはおでん屋やバーで一杯と決まっていました。また、親に連れられて七間町に行き、どこそこで食事しましたと懐かしく語る方も多くおられます。

七間町は大正三年の大洪水、昭和に入って十五年の大火、二十年の空襲と、大きな打撃を受けました。しかし町民は逞しく困難を乗り越えてきました。戦後、高度経済成長にともない急激に変化した市民生活によって、商店街としての七間町は発展とともに環境の厳しさが増し、歴史や伝統のみによっかかってはいられなくなりました。このような時代の波の中で町民は絶えず努力を重ね、市民に愛される町としてそれまでの役割をそのままに二十一世紀を迎えました。

現在、わたしたちの町も例外でなく、小子化・高齢化によるさまざまな問題を抱えています。府中の町民に支えられた四百年の伝統を誇る廿日会祭に参加する子ども連も少なくなってまいりました。わたしたちの七間町が将来に向かって力強く進んでいくためには、より一層の努力をしなければならないと思います。

今、世の中が不透明になって人びとは何がしかの不安を抱え、心の拠りどころを求めています。そこでこの七間町で明るい未来を描くために、先人達の陽気さ、逞しさを紹介しなければと考えました。心の中に自信が沸き立てばと思います。

戦前活躍した町民も高齢化して記憶が薄れていきます。また、ものの記憶を大火や戦災で失ってしまい、後世に伝える手だては、わずかな資料と体験談しかありません。

かねてより町民の中から百年史の発刊を望む声が高まっていました。三年前、十数名の有志が編集委員として参加、出版に向けて作業が始められました。町民だけでなく、一般市民の方がたのご協力もあって、資料・写真などが多く集められました。さらには、七間町にゆかりのある方がたより寄稿もいただきました。

「七間町物語」の発刊がわが町を再認識する良い機会となり、七間町に生活するための何らかの指針が得られることとなればと期待しています。

(寄稿は荒井桂吾、元七間町町内会長、青葉学区連合町内会長、平成二十二年二月没)

 

「七間町物語」は七間町百年の記憶と題し平成18130日発刊、総頁数336頁、頒価3000円。

当ホームページの「七間町物語」は、この書籍を基にして再編されたウェブ版の「七間町物語」です。

七間町物語WEB版はこちら。
プリンタ用画面
前
映画館のある街
カテゴリートップ
七間町名店街について
次
静岡映画館物語