大正時代 家族で写す

大正10年
大正10年、東京で神谷ビル落成、電気ブランで有名な店舗である。
2月、世情不穏の動きあり。過激派分子による山県暗殺の噂が飛び交う。
3月、皇太子殿下欧州歴訪。巡洋艦「香取」に御乗艦になり横浜港御出帆。欧州五ヶ国を御訪問。
同月、山形有朋が全ての官職から辞職する。「こころのうちの苦しさは、言の葉もなし」と述べる。
6月、京浜電気鉄道の貨物運輸が開始。現在の京浜急行の創業である。
同月、二等潜水艦「呂号第51」竣工。
8月、西武鉄道が創立。武蔵野鉄道を改称したものだった。
9月、皇太子殿下、欧州外遊より帰国し横浜に到着。このときの映像が日本映画会社の35ミリフィルムとして残っている。
10月、陸軍航空学校より乙式1型偵察機により満洲の長春に剥けて渡洋飛行を敢行。
3機脱落するも、樋口正治中尉が我国初の海外飛行を成し遂げた。所沢-長春は約2860㎞。
11月、ワシントン会議が始まったこの月、呉海軍工廠で、初の日本式潜水艦第44号の進水式が行なわれた。
12月、四ヶ国条約が調印される。目的は日米英仏の太平洋諸島の領土権益の相互尊重、問題の平和的解決であった。
同月、日英同盟廃止。

写真は七間町、桜湯の小長井家の家族写真である。

大正10年撮影。