七五三の祈祷

別雷神社(いかずちじんじゃ)

応神天皇の御宇四年(西暦273年)四月、勅により創建され、御祭神は別雷神、玉依比賣命を奉祀し、例大祭は五月十四日である。往古大歳御祖皇大神を祭ったと言う。大宝三年(西暦703年)創市の「安倍の市」と称する物資交流の中心地として鎮座地附近は繁栄したところで、その守護神として「安倍の市人」らが奉斎したのである。宝亀三年(西暦772年)四月、光仁帝は堤中納言を以て官幣賜い疫病除け、雷除けの勅書を当社に賜い神階を進められた。足利義政、今川、武田、豊臣秀吉、徳川家康等のの武将の崇敬篤く特に武田信玄は永禄年中、社殿を再建するに当り総瓦葺とし唐草の小口には悉く花菱の紋をつけ、破風の懸魚は欅材に武田菱の紋所を彫刻させるなど尊崇篤かった。駿河国新風土記に「社中に府内の文庫あり、すべて町々に事ある時此処に集会し、是を議す」とあり、境内に駿府総町の会所があって、年行事(町頭)が交替で定められた期間ここで事務を執り、主として町奉行所の命令の下達を司った。府中は九十六ヶ町、即ち府中の自治を当社内で運営したのである。

別雷神社は七間町の人々から親しみを持って「いかずちさん」とよばれている。文中の通り、非常に歴史の古い由緒ある神社である。七間町は別雷神社の氏子である。

上の写真は七五三での祈祷の様子。昭和45年撮影。下の写真、別雷神社での三歳の祝い。昭和44年の撮影。