水路のある青葉通り

昭和40年代の青葉通り。青葉通りはかつては、道路幅は狭く、砂利道で歩道は無かった。昭和15年の静岡大火後、防火道路として現在の幅に拡幅された。中央に幅、一間ぐらいの防火水路が造られたが水の流れはあまり良くなかった。その後、水路を覆い市の駐車場に利用された。

現在の姿は天野市長の時代、構想は横浜市の施設をモデルとした。当時、町内会長の肝入りで現地視察のバスが仕立てられた。