結婚

姉・治子結婚。家族そろって撮影。

ミッチーブーム
ミッチーブームとは、正田美智子が昭和33年から昭和34年にかけて、日本の皇太子、明仁親王と婚約して結婚することにより生じた社会現象。
民間人である美智子が皇太子との「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至った。
皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれる皇室の慣例を破り、財界出身とはいえ初の平民出身皇太子妃として注目の的となった。
美智子は聖心女子大の英文学科を首席で卒業した才媛であり、昭和天皇は「皇室に新しい血を」という意向だったとされている。
正田家は家柄が違い過ぎるとして当初、この婚姻を固辞した事をマスメディアが報道し、大きな話題となった。
これを契機にテレビが普及するなど、戦後日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。
美智子がテニスで着ていた白地のVネックセーターやヘアバンド、カメオのブローチ、ストールなどはミッチースタイルと呼ばれた。
これを模したファッションが大流行し、ヘアバンドはミッチーバンドと名付けられた。
「世紀のご成婚」「昭和のシンデレラ」等のマスコミ報道が連日なされ、特に女性週刊誌を中心に報道競争が過熱していった。
日本は昭和31年の「もはや戦後ではない」という経済白書の通り、経済は大きく飛躍しつつある時代であった。
岩戸景気が進む中、国民に大きな夢と希望を抱かせる社会現象であった。

写真は七間町「金魚屋陶苑」家族の結婚祝いの一枚である。

昭和33年撮影。