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お寺で
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七間町の子供たち、皆で撮影。
狩野川台風
雨は9月25日から降り始めたが、台風と前線の影響で26日には豪雨となり、台風の中心が伊豆半島に最も接近した26日の夕刻以降には湯ヶ島で1時間雨量が120ミリメートルにも達し、総雨量は753ミリメートルに及んだ。
この大雨のために、半島の中央部を流れる狩野川では上流部の山地一帯で鉄砲水や土石流が集中的に発生した。
天城山の山崩れは数千ヶ所とも言われる。そのため山沿いの集落の多くが壊滅。旧中伊豆町の筏場地区においては激しい水流によって山が2つに割れたほどだった。
同時に、所によっては深さ12メートルにもなる洪水が起こって、これが狩野川を流れ下った。この猛烈な洪水により、川の屈曲部の堤防は破壊されて広範囲の浸水が生じた。
また途中の橋梁には大量の流木が堆積し、巨大な湖を作った後に「ダム崩壊現象」を起こしてさらに大規模な洪水流となって下流を襲った。
旧修善寺町では町の中央にある修善寺橋が同様の状態になって22時頃崩壊し、鉄砲水となって多くの避難者が収容されていた修善寺中学校が避難者もろとも流失した。
さらに下流の大仁橋の護岸を削り、同町熊坂地区を濁流に飲み込み多数の死者を出した。この地区は被害が大きかったために、当時の首相であった岸信介がヘリで視察にくるほどだった。
旧修善寺町の死者行方不明は460人以上。その他、旧大仁町・旧中伊豆町など狩野川流域で多くの犠牲者が出た。
静岡県全体の死者行方不明者1046人のほとんどが伊豆半島の水害による。
昭和33年9月、未曾有の大水害が伊豆地方を中心に発生した。
現在でも語り継がれる狩野川台風である。
写真の撮影は同月、昭和33年9月7日。