七ぶら音頭

七間町が当番の廿日会祭、昭和三十七年、七間町単独で山車を引き回す

昭和三十七年四月、浅間神社廿日祭にねり当番町として七間町が山車を出しました。踟当番町は当時、東西南北四組、どういう順序で決めたか知りませんが、また辞退した町もあったのかも知れませんが七間町は出すことになりました。一月初旬、別雷神社にて「決め太鼓」を行い町内会全員が参加しました。太鼓は「勇会」の指導の下、七間町会館で布団をたたき、机をたたき、口で「テンツクツテンツクツ・・・」。一月の寒い夜も熱気にあふれ、賑やかでした。木遣は「東嘉会」の指導の下、天竜運送様の二階をお借りして夜遅くまで練習しました。地踊りは当町内の花柳梅菊師匠がおられますのでご指導を受け、婦人、子どもら人数が多いので、くろがねやさん、朝日生命のご好意で二階をお借りして練習に励みました。三月に入り、お踟(ねり)の宣伝の為、婦人会を中心に約三十名、バスで県内の主な市町村の主として駅前で踟を披露。来るべき四月の祭のPRを行ないました。三月三十日、町内巡り、三十一日、隣町回りと恒例の行事を行い、いよいよ四月一日から五日までの「浅間神社廿日会祭」です。五日間の内、一日雨が降りましたが、皆元気で祭り気分を味わいました。

七間町のお踟当番を前に、青年会で独自の音頭を作ろういう気運が出て来、「七ぶら音頭」が生まれました。

ハアーハアー
桜吹雪の 廿日会祭で
巡るおねりは 七間町へ
桜吹雪の 花の中
ぶらり ぶらーう ぶううーら
七ぶら音頭

ハアーハアー
蛍とびかい 笹の葉ゆらり
歩く人波 七間町へ
ゆかたうちわ 人の波
ぶらり ぶらーう ぶううーら
七ぶら音頭

ハアーハアー
紅葉色つき 蜜柑もたわわ
歩く人波 七間町へ
月を背にした 二人づれ
ぶらり ぶらーう ぶううーら
七ぶら音頭

ハアーハアー
富士は真白に 綿帽子被り
歩く人波 七間町へ
師走の町に 鐘が鳴る
ぶらり ぶらーう ぶううーら
七ぶら音頭