静活文化会館

不況に強い業種だと映画はよくたとえられる。昭和三十二年頃は「なべ底不況」と言われた。そんな不況を尻目に映画界は益々業績を伸ばしていった。静活は六月に「静活会館」を建て、余勢をかって十二月に「静活文化会館」を落成させた。この建物は映画館を含めた総合レジャービルである。地階に静岡アイスパレス、レストラン。屋上にプラネタリウムやニュー喫茶。プレイランドもあり文化会館という名に相応しい娯楽の殿堂だった。アイスパレスは東海随一の室内リンクとして爆発的なスケート熱を喚起させた。連日、長蛇の列が続くほど満員状態だった。開館一ヶ月で八万人を超える市民が押し寄せていた。映画館は大映封切館の「静活大映」であった。この翌年、昭和三十三年は日本映画界が最多動員を記録した年だ。延べ十二億人という数字は一人が年間十二回は映画を見たという数字だ。ちなみに平成の現代は一人年間一・三回である。写真は昭和30年代撮影の「静活文化会館」、写真では静岡ピカデリー1.2という館名で営業している。平成23年(2011年)10月、静活のセノバ移転に伴い惜しまれながら閉館した。