昭和三十二年七月に店を出したんだけど、そのとき私は二十四歳だった。多分、屋台の中で私が一番若かったんじゃないかな。酒を仕入れる酒屋から屋台を借りて始めたの。今思えば、若かったからできたんでしょうね。でもね、初めから店は順調で、幸運だったよ。青葉通りで最初からやってた店は「かどや」「三河屋」あたりだよね。聞いた話だけど、戦後まもなくね、よそからリヤカーで屋台を運んできて営業し始めたら、あっという間に屋台がずらりと立ち並んだみたいね。青葉通りはまだ舗装されていなくて、雨が降ると地面がぬかるんで商売ができなかった。通りの両脇に椎の木が立ち、花壇があったよ。そこに車道を背に向かい合って屋台が並んだ。暗くなると、昼間では想像できないほどの雰囲気があって、今でも当時を懐かしむお客さんがいるんだよ。ビルの一角にあるんじゃなくて、星空の下に灯りが並ぶんだから、それは良かったわよ。暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりに飲み方があって、屋台って独特の臭いがするのよ。静岡市葵区人宿町・今ちゃん店主。撮影は昭和30年代、青葉通りのおでん屋台の行列と店内の店主。