大火後の青葉通り

昭和15年の静岡大火で静岡市中心街は焦土と化してしまった。大切なものは全て失い、人々は再起に向けて立ち上がった。そこで道路の拡幅に着手、青葉通りは誕生した。下石町は通りをはさんで南は常磐町に、北は七間町となった。青葉通りは防火、防災の為の道路であった。

静岡大火から5年後、昭和20年には静岡大空襲に襲われ再び七間町は塵芥と化した。この時、青葉通りの防火防災に果たした役割は大きかった。静岡大火から約7年後、終戦から3年後、昭和23年撮影の青葉通り。