七間町に映画館が立ち並んだのは理由がある。まず、市民が立ち寄りやすい土壌が七間町にあったということ。古くは安部の市が開かれている。江戸時代には七座設けられ、人々が集まってきた。
昭和二十年六月十九日の静岡大空襲。焦土となって多くの人や物が失われた。そして昭和二十年八月、敗戦という結末で、戦争という未曾有な大災害は終わった。敗戦の焦土の中から不死鳥のごとく静岡の映画文化は立ち上がっていく。
昭和二十一年、焼け跡の松坂屋六階ホールや市民文化会館でも軽演劇が開催されたこの頃、同年八月に「セントラル劇場」が開館する。後の「銀座劇場」である。その後この劇場は、ミラノ、静岡日活、そしてミラノ1.2.3へと受け継がれていく。
上映中の映画は「ターザンの復讐 」昭和9年(1934年)製作、 Tarzan and His Mate (ジョニー・ワイズミュラー) の作品である。戦時中、アメリカ文化に対する敵視から、洋画の上映に対する厳しい規制は終戦まで続いた。終戦を迎えアメリカ映画を中心とした洋画が再び上映され始める。この復興の時代に映画が市民に与えた夢や希望は非常に大きなものであった。暗く永い戦争の時代を経て、ようやく市民が普通に洋画を楽しめる時代が訪れたのであった。
映画看板と並んで「祝 復興祭」の看板が見える。この祭りは昭和24年に静岡市が企画した祭りであった。終戦から4年後の昭和24年撮影と推測される。