洋装雑貨 北村屋

暗く永い戦争の時代が終わった。昭和20年の終戦を迎え、七間町の人々も昔のように商売ができるようになる。まだまだ貧しい時代であったが、人々はかつての自由を手にいれた。

戦後、娯楽で一番早く復活したのがパチンコ、コリントゲーム、ダンス、玉突き、麻雀。中でもパチンコ店は二十四年頃より七間町の貸家、または焼け跡地に建設され、どこも繁盛し評判が良かった。当時、機械は名古屋で製造され手動式の中川式パチンコの経営者は富士市出身の中川様と聞いていた。景品は煙草が一番魅力があり、専売品取扱店の許可を取り、納品にはずいぶん苦労した覚えがある。ピース 二千個入り×40円=八万円、ひかり 二千個入り×30円=六万円、当時としては大金であり、勧銀扱いだったので、無条件で借入ができたことが幸いだった。(原文通り、北村氏談)

写真中央の店舗は洋装雑貨の北村屋、現在のキタムラヤの前身である。北村屋店舗の左隣は菊屋装身具店、現時のニットの菊屋である。二番目の写真、北村屋の店主と従業員である。写真一番左手は北村正敏氏である。三番目の写真は店内の様子。昭和20年代の撮影。