戦後初の廿日会祭

昭和二十八年の廿日会祭

昭和二十三年の暮、通り商店街の会合の席で、戦前に行なわれていた四月のおねり屋台が話題になり、まだ戦争の傷跡が残る七間町に少しでも以前のような賑わいのある町に戻すことができればと、祭り屋台の復活の話が持ち上がった。翌二十四年初め、「勇会」の皆さんの協力を得て七間町の人々は江戸囃子の稽古を始めた。四月のお祭に合わせて、ちょうど新しい静岡音頭が作られた。さっそく町内で踊りを教えておられた花柳流の師匠の指導で婦人会の皆さんや子ども連が地踊りを習った。こうして、引き回しの踊り屋台に囃子の太鼓も組み込まれて準備ができ上がった。四月一日の午後から「七間町」と染め抜いた法被姿の男衆と、揃いの祭の踊り衣装で決めた女衆、当時まだ大勢見受けられた芸者衆が粋な江戸前の手古舞姿で大勢応援に駆けつけて、引き回しの踊り屋台をいっそう華やかに彩った。戦後初めて引き回しのお踟(ねり)屋台が復活して、七間町通りの賑わいを取り戻すのに大変役立ったのだった。久々に響く祭り囃子の太鼓の音が通りを行き来し、近隣商店街にも繰り出すことで、行き交う人たちも四月の祭り気分に浸っていただけたのではと思う。