敗戦後のヤミ市

闇市
戦争が終わる

昭和二十年八月の敗戦で空襲による身の危険がなくなり、九月から十月にかけて七間町の通りにバラックの家が一軒、二軒と建ち始めた。
歩道に掘られていた半地下の防空壕が次第に埋められ、その場所に戸板を敷いて下駄と草履、鼻緒などを並べる店が出た。
ふかしたさつま芋を笊に入れて割烹着姿で売り歩いている女性、進駐軍兵士から手に入れたタバコやガム、チョコレートなど隠しながら売る男性、道に落ちていたタバコの吸い殻を拾い集め、巻きなおして、一本二本と売るモク拾いなど、次第にいろいろな闇物資が出回り始めた。
中でも鮮魚の鯖やイカなど、氷が手に入らないために最初に売り始めた値段と終わり頃の値段が五分の一ぐらいになることがあった。
また海外から引き揚げてきた人たちが露天で商いを始め、車道を背にして露天の店が並ぶようになった。
それに伴い七間町に集まる人の数も一気に増え、通りの店舗も揃い始めた。
しかし、まだ各店がかつて扱っていた品物を扱うのは政府の統制制度のもとであり大変で、洋品屋でも人絹とかスフとか言われる素材しか扱えず、おすし屋さんでもお米のご飯の代わりにおからを巻いた海苔巻を作って販売したり、眼鏡店が喫茶店をしているところもあった。

写真は七間町の闇市。
中央の写真、GIFTS DEPPARTMENT/TEA SALOONと看板のある場所は、かつての吉見書店の地点である。