兵隊さん

千人針

 昭和十二年、日中戦争が始まりました。十二月には南京陥落など、いよいよ戦争が本格化してきました。その頃から国民の間に、日本軍の進撃の様子など、戦地の報道が新聞やラジオで流されました。静岡の歩兵第三十四連隊も出征しました。出征の情報が流れると、その日は早くから日の丸の小旗を持って見送りの人々が集まってきました。急に人々がざわめき始め、県庁の方を見ると、歩兵第三十四連隊の営門を出発した軍隊が県庁前から札之辻、七間町通りを、道の両側一杯に日の丸の波で細くなってしまう道を、七間町二丁目の角を曲がり十二間道路を通って新しい軍服、軍靴の音を響かせながら駅に向かって行進して行きました。
 戦地に家族を送った家では唯一、戦地との連絡の絆のように「慰問袋」を送りました。限られた品をあれこれと集めて「慰問袋」と描いた布の袋に家族からの手紙、千人針などを入れました。
 この頃になりますと、夜、七間町通りのそこかしこに千人針の布の袋を持った婦人が大勢出てくるようになりました。白い晒しの布に千個の印を付けてあり、そこに千人の女性が一針刺して玉止めをするのです。寅年の女性はその年齢の数だけやりました。一針一針心をこめて、中には縁起をかついで、「死線を越す」と五銭硬貨を、「苦戦を超える」と十銭を綴じ付ける人もおりました。
「大変ですね。無事に帰って来られるといいね。がんばってくださいね」
「どうもありがとうございました」
心からのあいさつを交わしておりました。戦地で苦労をしているであろう人を想うとき、残った家族はこのようなことをすることがせめてもの心のよりどころだったのではないでしょうか。
(写真原文通り)

七間町通りを西に行進して静岡駅に向かう静岡歩兵第三十四連隊、田上部隊。

文中の記述通り、昭和12年撮影。