愛国婦人会の炊き出し

静岡大空襲
昭和二十年六月十九日、二十日

静岡大火から五年、再び猛火に包まれた七間町。敗戦色濃い時期、生活を支えるための商売は絶望的となった。多くの犠牲者を出しながらも店の再建を願い、やがて八月十五日を迎える。

昭和二十年六月十九日の夜から二十日未明にかけ、百数十機のB29の大編隊が襲って、焼夷弾を投下した。市内はほとんど焼失し、被災地域は二百二十一個町、罹災世帯二万四千四百五十九世帯、罹災者十一万四千人、死者一千八百七十三名、負傷者六百名に及んだ。
四百五十九世帯、罹災者十一万四千人、死者一千八百七十三名、負傷者六百名に及んだ。
前後十二回に及ぶ静岡市の空襲の被害は、焼失家屋二万五千二百三十九戸、全半壊千四百八十三戸、死者千八百七十三人、重傷者八百三十人、罹災者数十一万八千七百四十六人に上り、損害六百億円と推定された。この空襲により、一部罹災で助かったものは鉄筋コンクリート建の官庁会社等、極めて少数であった。
以後今日まで、静岡市は、戦前に勝る立派な不燃構築物が増加し、東海屈指の大都市となった。

静岡大空襲のあと「愛国婦人会」による、炊き出しの風景。
人々は助け合って、戦渦を乗り越えようとした。