梵鐘供出

教覚寺の梵鐘供出

昭和19年3月、宝塚歌劇団が最終公演を以って終了し、カフェー、酒場、高級料理店も営業を中止する。
欧州では同年6月、連合軍がノルマンディー上陸。
日本は6月、B29による本土初空襲を受け、福岡の八幡製鉄所が被害を受ける。
同月、マリアナ沖海戦で日本海軍は敗北。
7月インパール作戦中止を決定するが、同月サイパン島で日本軍が玉砕、東條首相退陣。
小磯国昭内閣(陸軍)成立、米内海相との事実上の連立であった。
8月グアム島で日本軍が玉砕。
欧州では同月、連合軍、パリ占領。
10月、レイテ沖海戦敗北、初の神風特攻隊の攻撃開始。
11月、マリアナ島からの米軍機、東京初空襲、主に軍需工場を狙うが市民生活はまだ平静であった。

「供出」という言葉は現在では「米の供出」の時以外ではあまり聞かれない言葉である。
辞書には、「供出とは、民間の物資を法定の価格で、政府に差しだすこと」と書かれている。
太平洋戦争が拡大し、戦争が長期化するにつれて、日本は戦争を進めていくための武器や兵士の食糧、軍馬や馬の餌をはじめ必要な物資が極度に不足してきた。
政府は、これらの軍需品の調達を供出によってまかなうことを決めた。そのために国民は、毎日の食料や着るものも節約して、決められた量の品物の供出に励んだ。

写真は七間町の隣町の常慶町、教覚寺の梵鐘を供出する風景である。

昭和19年撮影。